2月11日(月・祝)、12日(火)教育合宿 参加しての感想
教育合宿に参加された大塚里奈さん、堀楓香さんから教育合宿に参加しての感想が届きましたので、ご紹介します!教育合宿を通じて、様々な気付きを得られたようです。
▽教育合宿の報告はこちら(2月11日(月・祝)、12日(火)教育合宿を行いました!)
大学でソーシャルワークを専攻する私がインクルーシブ教育に関心を抱き始めたのは、昨年の4月ごろでした。
4年次が始まり今までの生活を振り返ることが多くなるにつれて、障害の有無に関係なくそれぞれの思考は違えど学生が同じ空間で学ぶインクルーシブな環境で過ごしたことによって、私が周囲から特別視されることなくとても心地よく過ごせたという思いがありました。
この経験はさらに、何かを学びたいという意欲は、障害を理由に阻害されるべきではないという私の考えを強くしていきました。
このことから「誰もがともに学ぶためのインクルーシブな状態」をどのように認識するのか、という疑問を持ち始めた私にとって、今回の合宿は疑問を考える絶好の機会だったと思います。
そこでまず、これまでの私の経歴について触れたいと思います。小学校を普通級で過ごした私は、中学進学時の身体状況と、学習スピードを落としてもしっかり学べる環境を考慮して特別支援学校に進んだため、どちらかといえば特別支援教育を肯定した立場でした。
しかし参加者やファシリテーターの皆さんの経験に対して「私が本人の立場だったらどう思うか」を考えつつお話を聞き、同級生と一緒に学びたいのに学べない厳しい状況や、厳しい言葉をぶつけられたという体験談を目の当たりにして、「私だったらその場に居られない」という心境になりました。
声を上げる力さえ奪われかねないと感じました。
なぜなら、障害の有無に関わらず「他のみんなと同じように、同じことができる」のが「普通級」に児童生徒が在籍する条件のように認識されているように思えてならなかったからです。
「他のみんなと同じように、同じことができる」のを、学ぶための条件のように本人に求めていいのだろうか。
そもそも子どもは、みんな違います。勉強が得意な子もいればそうでない子もいるし、クラスメイトをまとめられる子もいればひとりでいるのがいい子もいます。
その子たちが同じ空間で学ぶにあたり、もし子どもたちが「居づらさ」や「学びづらさ」を感じるなら、それは個人ではなく、学校のシステムに起因するものだと考えられるため、学び方に着眼する必要があります。
例えば書くのが苦手で「学びづらさ」がある子は音声入力ソフトを使うなどの工夫があることで、「学びづらさ」は解消され、快適な学習を続けられる可能性があります。
インクルーシブ教育を考えるとき障害に焦点が当たりがちだが、こういった「居づらさ」や「学びづらさ」は障害の有無に関係ないトピックでもあり、誰もが抱え得るのではないかと思います。
そんなことを考えていた話し合いの最中、あくまでニュアンスですが、「理由ではなくて、そこで本人が学んでいることに意義があるのではないか」という意見がありました。
本当の意味のインクルーシブ教育は、「学習のための条件を本人に求めず、学び方に柔軟な教育」だと言えるかもしれないと感じました。
みなさん、2日間ありがとうございました。
大塚 里奈
合宿では、経験豊富な方たちのお話を聞き、今よりも環境が整っていない中で、行動をされてきたのだと感じました。
障害の有無に関わらず、同年代と遊んだり、勉強をしたりすることは貴重な経験だと考えています。
長い間、声をあげ続けてきた歴史があり現在につながっているのだと思います。
しかし、学校側の消極的な対応は現在もあり、その点で似たような課題がまだまだあるのだとも思いました。
それは、親に付き添いを求めることや、先生が障害のある生徒に対しての関わり方の課題です。
障害に対しての意識が、「特別」と捉えられていることが多いため、「何か特別な支援をしなければならない。」と思ってしまうのではないでしょうか。
そうではなく、少しの工夫で一緒に授業を受けることができます。このような話を似たような環境にいた方と語り合えたことがうれしかったです。
インクルーシブ教育がだんだんと広がっていく今、これから私も行動していかないといけないと思いました。
本当の意味でのインクルーシブ教育を目指して、今後どのような活動をしていけばよいかというアドバイスをいただきました。
北海道では、似たような経験をした人と、なかなか語り合うことができません。
合宿で話したことを生かして、北海道でも企画し、活動していきたいと思います。
ありがとうございました。
堀 楓香